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東京地方裁判所 昭和39年(モ)3827号 判決 1965年2月25日

債権者 善慶寺

右代表役員 高橋昭行

右代理人弁護士 鈴木俊光

同 佐藤圭吾

債務者 長野小左エ門

右代理人弁護士 佐藤章

同 荻原静夫

主文

当裁判所昭和三九年(ヨ)第八二七号不動産仮処分申請事件につき、昭和三九年二月二〇日当裁判所がなした仮処分決定はこれを取消す。

債権者の本件仮処分申請を却下する。

訴訟費用は債権者の負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一申立

(一)  債権者代理人は、主文第一項記載の仮処分決定を認可する、との判決を求めた。

(二)  債務者代理人は、主文同旨の判決並びに仮執行の宣言を求めた。

第二主張

(申立の理由)

(一)  債権者は、債務者に対し、昭和一五年五月一四日、債権者所有の東京都江戸川区小岩町六丁目四九二番地畑四畝一九歩(以下本件土地という)を、建物所有の目的で、賃料一ヶ月一五円二九銭、毎月二八日支払、期間昭和三五年五月一三日まで、特約として、賃借人が賃料を三回以上延滞したときは催告を要せず右契約を解除できるとの定めで賃貸した。

(二)  債務者は、本件土地上に同所同番地木造二階建亜鉛スレート葺店舗一六六坪三合三勺(以下本件建物という)を所有、占有している。

(三)  債権者は、昭和三三年一月分より昭和三四年三月分まで一五ヶ分の賃料を延滞した。

そこで債権者は、昭和三四年四月一五日、債務者に対し、前記特約にもとづいて、本件土地賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなし、右は翌一六日債務者に到達した。

(四)  よって債権者は、債務者に対し、建物収去土地明渡の訴を準備中であるが、債務者は、本件建物を第三者に占有させたり、譲渡するおそれがあるので、その執行保全のため、本件建物につき、主文第一項記載の仮処分決定を得た。

よって債権者は、右仮処分決定の認可を求める。

(債務者の答弁)

申立の理由(一)の事実のうち、債務者が債権者主張の約定により本件土地を賃借していることは認めるが、右契約における賃貸人が債権者であることは否認する。

本件土地賃貸借契約成立当時の賃貸人は、高崎良照であって、その地位は、同人の死亡により、高崎昭行によって相続承継された。

同(二)及び(三)の事実は認める。

同(四)の事実は争う。

(債務者の抗弁)

(一)  本件賃貸借契約書には、通常挿入される「賃料は賃貸人方に持参または送付して支払う」旨の記載が特に削除されており、また、本件賃貸借成立直後から高崎良照または高崎昭行が賃料を取立て、その際債務者が不在のため債務者において賃料を郵送したことが一、二度あったにすぎない。

従って本件賃料は、取立債務であって持参債務ではない。然るに、債権者が自らその取立を怠たり、これを放置しておきながら、何らの通知催告なくして、突然賃料の延滞を理由として契約解除の通知をしてきたものであるから、債務者に右解除の前提となる債務不履行の事実がなく、右契約解除の意思表示は効力がない。

(二)  債務者は、本件賃料を次のとおり支払った。

(1) 昭和一五年六月分ないし同年八月分を、同年五月二三日、(2) 同年九月分ないし昭和一八年五月分、不明、(3) 同年六月分ないし同年一二月分を、同年一二月一五日、(4) 昭和一九年一月分ないし昭和二〇年一月分を、昭和一九年一二月二九日、(5) 昭和二〇年二月分ないし同年一二月分を、同年一〇月二日、(6) 昭和二一年一月分ないし昭和二二年一二月分を、同年一〇月二九日、(7) 昭和二三年一月分ないし昭和二四年七月分を、同年四月二二日、(8) 同年八月分ないし同年一二月分を、同年一二月二七日、(9) 昭和二五年一月分ないし同年一二月分を昭和二六年一月二三日、(10) 同年一月分ないし同年一二月分を、昭和二七年二月二日、(11) 同年一月分ないし同年一二月分を、同年一二月二七日、(12) 昭和二八年一月分ないし同年一二月分を、昭和二九年二月一一日、(13) 同年一月分ないし同年一二月分を、同年一二月二八日、(14) 昭和三〇年一月分ないし同年一二月分を、昭和三一年一月一二日。

このように、本件賃料は、昭和二四年までは七ないし二四ヶ月分宛一括して支払われてきたが、昭和二五年以降は、一年分宛毎年一二月下旬または翌年春にまとめて支払われている。従って、債権者主張の特約条項は、例文であり、または少くとも契約成立直後に失効しているから、賃料の支払につき催告をしないでなした契約解除の意思表示は効力がない。

(三)  本件土地賃貸借契約の解除権の行使は、権利の濫用である。すなわち、本件土地賃貸借契約は、昭和一五年五月一四日に成立したが、昭和三一、二年までの約一五年間は荒地であって、債務者はこれを利用することもできず、単に賃料を支払うのみであった。このことは、高崎良照及び昭行の熟知しているところである。

然るに、本件賃料は、同人等の請求によって再三にわたって増額せられ、債務者は、かかる経済的苦痛に堪えてようやくこの賃借権を保持してきたものである。

ところが、債務者が昭和三二年頃本件土地上にアパートを建築したところ、高崎昭行は、更地でなくなったとの理由で更に賃料の増額を求めてきたので、その交渉中突如本件契約を解除してきたものである。

しかも、本件賃料は、賃貸人において一年分まとめてその都度取立ててきたもので、債務者がその取立てを待っていたとしても、これを責めることはできない。

更に現在本件建物には、三五世帯が居住しており、債権者の主張が認容されるとするならば、これらの家族は一挙にその生活の本拠を奪われることになる。

従って、債権者の本件契約解除権の行使は、明らかに権利の濫用であって許されるべきではない。

(四)  債権者の本件建物収去土地明渡請求権は、失効の原則により消滅した。

すなわち、債権者の主張によれば、昭和三四年四月一六日に右請求権が生じたことになるが、債権者はその後約五年間これを放置し、債務者がその間の賃料を供託して本件建物を約三五世帯に賃貸することを黙認した。従って、本件建物の上には現在相当複雑な生活関係が築き上げられているから、これを一挙に覆滅することは甚だ困難である。

かかる場合には、債権者の権利は、自壊作用により消滅したというべきである。

(抗弁に対する債権者の答弁)

抗弁(一)の事実は否認する。

高崎良照や高崎昭行の家族らが賃料を受取るために債務者方に行ったのは、債務者が賃料を支払わないのでやむなく取立てたもので、これによって持参債務が取立債務に変ることはあり得ない。

同(二)の事実は否認する。

同(三)の事実のうち、本件建物に多数の世帯が生活していることは認めるが、その余の事実は否認する。

債権者としては、債務者が賃料を支払わないのでその取立てに困惑し、これ以上債務者に賃貸できないと考え、已むなく本件契約を解除したものである。

同(四)の事実のうち、解除権行使後本件訴訟に至るまで、約五年の期間があったことは認めるが、その余の事実は否認する。

右は債権者としては、法律にくらく、また本件建物の居住者があまりに多く、実態が把握できなかったこと、及び訴訟費用の捻出に手間どっていたためで、債権者は、契約解除後は賃料の受領も拒絶し、債務者とは抗争状態に入っており、債務者においても当然訴訟が起ることを予期していたはずであって、もはや明渡請求がなされることはないと債務者が信ずるような状態にはなかったのであるから、いわゆる失効の原則は適用されない。

第三疏明≪省略≫

理由

(一)  本件土地賃貸借契約における賃貸人が債権者であるか、高崎良照(高崎昭行によって相続承継)であるかの点を除き、申立の理由(一)ないし(三)の事実は、当事者間に争がない。

そして≪証拠省略≫及び債権者代表役員本人尋問の結果によると、本件土地は債権者の所有であって、高崎良照はその代表役員たる住職であったこと、本件賃貸借公正証書には僧侶善慶寺住職、賃貸人高崎良照と表示されていること、本件賃料領収証は、昭和二六年及び昭和二七年度分を除き善慶寺住職高崎良照または昭行名義で発行されていることが一応認められ、ほかに高崎良照が債権者所有の本件土地を特に個人の資格で債務者に賃貸したものと認めるに足りる疏明資料は存しない。

右の事実によれば、本件契約に関する証書などに若干不明確な点がなかったとはいえないが、高崎良照が債権者(善慶寺)の代表役員たる住職として、債務者に本件土地を賃貸したものと認めるのが相当である。

(二)  そこで債務者の抗弁について判断すると、≪証拠省略≫及び債権者代表役員債務者各本人尋問の結果によると、本件賃料の支払は、抗弁(二)(1)ないし(14)記載のとおりであって、債務者は、昭和一八年頃から数ヵ月分ないし二ヵ年分まとめていずれも支払期日経過後に支払い、更に昭和二五年度以降は、毎年一年分を一括して年末から翌年二月頃までに支払ってきたこと、これに対し債権者側では、高崎良照、昭行またはその家族が、その都度債務者方に赴いて右賃料を受領してきたが、当初の約定と違って賃料を期日に遅れて一括支払うことについて格別異議を述べていないこと、然るに債権者は昭和三四年四月一五日、債務者に賃料支払の意思がないと認められる事情その他の不信行為が存しないのに、債務者に対し、賃料支払の催告をせずに、突如、契約当初作成した賃貸借公正証書に記載された賃料支払を三回以上延滞したときは催告を要せず契約を解除できるとの特約にもとづき、昭和三三年一月分より昭和三四年三月分までの賃料二万五〇二〇円の不払を理由に本件契約を解除する旨意思表示したことが一応認められる。

右の事実によれば、債権者主張の特約は、債権者において、昭和一八年頃から十数年間にわたり、賃料支払三回以上の延滞を容認し、賃貸借関係を継続してきたことにより、債権者が右特約にもとづく契約解除の意思表示をした昭和三四年四月一五日当時、既にその効力を失っていたものというべきであり、そうでないとしても、右認定のような事情のもとにおいて、右特約にもとづき催告なくして賃料不払を理由に契約を解除することは、継続的な契約関係である賃貸借において遵守せらるべき信義則に反するものであって、許されないというべきである。従って債権者の前記特約にもとづく賃料不払を理由とする本件契約解除は、その余の抗弁について判断するまでもなく、効力がない。

(三)  以上の次第であって債権者の本件建物収去土地明渡請求権は認められない。従って債権者主張の被保全権利は疏明がないことに帰し、この点保証をもって疏明に代えることも、前記認定の事実に照らし相当でないから、債権者の本件仮処分申請は理由がない。

よって本件仮処分申請を認容した主文第一項記載の仮処分決定を取消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 竹田稔)

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